メインメニュー
ログイン
ユーザ名:

パスワード:


パスワード紛失

新規登録

2007年6月26日(火曜日)

第二回 瀬名秀明氏 (作家 / 東北大学機械系特任教授)

そのダイナミックな発言と行動を通じて、人々のハートに火を灯す「人」にフォーカスするインタビューシリーズの二回目。
今回ご登場いただくのは、作家であり、現在、東北大学の特任教授も勤める瀬名秀明氏。
瀬名さんは科学に関する小説を執筆する一方、99年からロボット研究者や脳科学者への取材を通して、日本のロボットの現状と将来の行方を小説やノンフィクションという形で発表してきました。
また2006年にはアメリカでプライベート・パイロットの資格をとり、今後は飛行機に関する分野にも挑戦していくといいます。
そんな新たな題材に挑戦しはじめた瀬名さんに、6月に開かれた「オープンハウス2007」(国立情報学研究所)の講演の後、お話をお伺いしました。
(学術総合センターに於いて  聞き手 ?ロボットメディア 小林賢一)

瀬名秀明ロボットを通して人とロボットはどうなるか、ロボットを通して人間らしさはどこまでわかるのか、そういうことのほうに興味がありましたね

瀬名さんの作品にはロボット、脳科学、生物、そして多くの科学に関する小説やノンフィクションがありますが、作品を書く前に自分の中に、あるテーマがあってそれに基づいて書いているのですか、それともその時々の関心のある事柄について書いているのですか。

ロボットについて書くようになったのは、実はまったくのなりゆきです。「文藝春秋」という雑誌の編集部からロボットの記事を書いてみないかと言われ、1999年にロボット研究者に取材したのが始まりですね。
ミトコンドリアといった細胞小器官の働きや、がんのメカニズムなど、細胞生物学がもともと好きだったので、たぶん昔から生命と機械の境界みたいなところに興味があったんでしょう。生命も突き詰めていけば機械的な動きが見えてくるし、人間の社会構造だってそうです。小さな分子の働きはナノテクとも直結します。最近、レイ・カーツワイルという発明家がGNR革命ということをいっていて、遺伝子工学とナノテクとロボットが融合して人間のアイデンティティを変化させ、社会構造にものすごく影響を与えていくだろうと予測を立てていますが、生命と機械が渾然一体となってゆくような状況は10年くらい前から漠然と自分も思っていて、小説の中にもよく書いてきたんです。
実際、ミントコンドリアが出てくる『パラサイト・イヴ』は、細胞小器官がエネルギーのエンジンであることに着目したホラー小説ですし、『BRAIN VALLEY』では脳科学と情報科学が主体となっています。ナノテクと生命起源をテーマにした「ダイヤモンド・シーカーズ」という小説も地方の新聞に連載したことがあります。
だからロボットの取材も、最初は「生命」とのつながりで考え始めたんです。機械工学の細かい話よりも、ヒトとロボットのコミュニケーションや、ロボットを通してヒトとロボットはどうなるか、ロボットを通して人間らしさはどこまでわかるのか、そういうことのほうに興味がありましたね。
ロボットをやって、ミトコンドリアをやってというと離れた分野を扱っている印象を持たれるかもしれませんが、自分の中ではそんなに離れているわけではないんです。

ロボットをテーマとしてやってこられた経緯をもう少しお話いただけますか。

1999年頃から取材をはじめ、その後、大阪大学の先生や東京大学の先生たちと親しくなったのですが、一緒に研究まで始めるようになったのは「社会的知能発生学研究会」に入ってからですね。東大の國吉康夫先生からその研究会で講演を頼まれたのがきっかけです。ここのメンバーとは年に2回ほど合宿をやって、ロボットだけではなくて人間の知能についてとことん語り合うんです。それが『知能の謎 認知発達ロボティクスの挑戦』や『境界知のダイナミズム』といったノンフィクション、さらには『デカルトの密室』『第九の日』というロボット小説のシリーズにつながっています。

その後ずっと日本のロボットの最前線を取材されてこられたわけですが、今後のロボットの動向については、どのように見られていますか?

2003年、つまりアトムの誕生日前くらいまでは、まだまだロボットはプリミティブな存在なのだけどいろいろな可能性があると考えられていた時期だったと思います。
学術的にもすごいおもしろいことをやっていて、それが社会さえ変えるのではないかという期待感が研究者にもあった気がします。
だけど、その後は雰囲気が変わってきた。Robo-Oneに出場するロボットは、よく動くし楽しいですけれど、ホビーの一環ですよね。人間社会に役に立つということではない。一方、役立つロボットを目指していたはずの大学の研究は、ちょっと停滞しているように見えてきた。産業界はどうかというと、やはり家庭に入るロボットは思ったほど進歩していないし、安くもならない。産業レベルの現実と大学の研究者の理想論とが乖離してきて、行き先が見えにくくなってきたのがたぶん2003年から2005年のあたり。そのため2005年の愛知万博で国がロボットの将来ビジョンを見せようとしたわけですけれど、まだ市場にすんなりつながるまでは至っていない、ということだろうと思います。でも企業は少しずつ小さなヒットを出すようになってきた。数億円の規模ですけれど、ビジネスとして成り立つものがぽつぽつと見えてきた。それはみんなが憧れていたヒト型ロボットではないけれど、それでも一歩踏み出しつつある。現状はそんな感じではないでしょうか。

小説で描かれるロボットについても何か変化はありましたか?

ぼくがロボット小説を書き始めた頃は、SF作家の間でもロボットという題材はアウト・オブ・デイトで、ほとんど小説の題材としては取り上げられていなかったと思います。アニメの世界で描かれていた程度でしょう。『鉄腕アトム』や『鉄人28号』をなんとか復活させようという動きもありましたが、不発に終わっています。でも最近は『PLUTO』などがヒットして、それまではロボット小説は時代遅れ、今さらロボットなんてと思われていたのが一回転して、古い器を新しくモデファイして見せ直す土壌が育ってきて、エンターテインメントとして認知されるようになってきたと思います。そこで描かれているロボットは決して革新的なわけではなく、最新のロボット学の成果を取り込んでいるわけではない。その意味で、ここ10年のロボット学は、物語作家にしっかりした影響を与えられなかったのかもしれない。でも最近のロボットものは古くからの問題意識を新しい器で出すことで、普遍的なテーマを読者に改めて伝えることに成功するようになってきたのではないかと思いますね。

介護や看護や理学療法士の視点からロボットを見直すことで、介護や看護のサイエンスのあり方そのものが変わる可能性がある気がします

ロボットが家庭や職場で活躍する上でのポイントは何でしょう?

やはり安全面が大変重要なのだと思います。最近は一般の人が「そのロボットって本当に安全なのか」とちゃんと疑問として発せられるようになってきました。それまでは「ASIMOかわいい」というところで思考停止していたのだけど、実際に家庭にロボットが入ってくるということが現実化してくると、ロボットは本当に安全なんですか、危害を加えませんかということを一般の人が気にするようになってきた。それはとてもよいことだと思うんですね。研究者も安全面が自分のロボットの評価基準になるということがわかってきた。

超高齢化社会を迎え、介護分野での機械化は必須と思われます。しかし、長いこと研究されてきたにもかかわらずなかなか実用化されないのはなぜだとお考えですか?

以前、大学の看護学部に勤めていたことがあって、いまも当時の学生たちとは交流があります。そこで改めて思うのは、看護や介護の研究が、従来型の自然科学の方法論を超えて、研究者自身も含めた人間関係を中心に成り立っているんだということです。自然科学は再現性を求めるでしょう。でも患者さんとのつきあいはそのとき限り。誰かが真似しようと思ってもできるわけじゃない。そういった一回性の科学がナーシングなんですね。では今後、ロボットが患者さんとどのようにつきあってゆくか。きっとそこには、ロボットと患者さんという一対一の関係だけではなくて、たくさんの医療従事者の人生も含めた複雑な一回性のネットワークができてくるはずなんです。それはたぶん、これまでの自然科学では扱いきれなかった、21世紀の新しい科学のあり方を創造するような気がしています。ぼくがこういうと看護師さんたちはきょとんとするんですが、でも30年後には看護や介護がきっと科学の最先端になっていますよ。その最先端で働くロボットは、きっと総合科学の最先端でしょう。

高齢者はどんどん増えるのに、介護を担う若者が減り、人手不足になることから、フィリピンから介護士を受け入れるという国の方針も出されていますが。

少子化による大学冬の時代にも関わらず、医療系の大学は今もたくさん作られています。介護士や理学療法士の資格を取る人もたくさんおり、これからはむしろそういった人材がどんどん社会に出てくると思いますよ。資格を取って、人の役に立つ仕事に就けるというのは、若い人たちにとっても憧れであるはずです。
今後介護ロボットは、要介護者をモニタリング(見守り)するロボットルームや、要介護者の心のよりどころとしてのペット型ロボットなど、なんでもかんでもロボットにやらせるという幻想からロボットでしかできない領域に特化していくのではないかと思っています。そこから先があるとすれば、人の心のふれあいをサポートしてくれるロボットでしょう。

プライベートパイロットの話

アメリカで飛行機のパイロット資格を取ったとお聞きしましたが。

パイロットの免許をお持ちの中島秀之 (公立はこだて未来大学学長) さんから勧められて、2006年にアメリカに行って免許を取りました。
パイロット資格を取ったのは、フランスやモロッコを舞台にした1919年の飛行機乗りの小説を書くためなんです。実は1919年のフランスのことも飛行機乗りのこともよく知らないのに無謀にも2002年に小説を連載してしまいました。それはやはり今いち(笑)なのでまだ本にはなっていませんが。
免許を取った後、今年の3月に、小説の取材を兼ねてモロッコを訪れました。

砂漠地帯を飛んだのですか。

モロッコは砂漠の国だと想像していましたが、実際は農業国で、特に海岸地帯は緑がたくさんあって、大西洋は本当に青いし、アトラス山脈の上のほうは雪化粧で、雄大なパノラマ景色がすばらしかったですね。サン=テグジュペリが飛行したコースなど17.5時間ほど飛んできました。

免許取得の費用はどのくらいなのですか?

渡航費と滞在費を含めて170万円ほどです。 取得には7週間くらいかかりましたが、個人の趣味としてはそんなにべらぼうに高いわけではありません。

ロボットは本来そんなに真剣に付き合わなくてもいいはずで、マニアばかりがロボットを愛でなくてもいい時代が必ずやってくると思っています

アメリカの飛行機乗りの実情はどんな感じなのでしょう?

アメリカでホンダの技術者と知り合いました。
その方が言うには、「日本ではプライベート・パイロットの人口も、また飛行場も少ないから、飛行機というと何か特別なもの、リッチな人たちの娯楽だと思われがちだけど、アメリカの場合は、車で少し走れば次の飛行場があるくらいたくさんの飛行場があり、いろいろな人が飛行機に乗っている。
また飛行機の免許もいろいろなグレードがあって、プライベートパイロットより、もっと低いグレード、例えば自分の農場で農薬散布するためだけとか、自分の敷地の中だけ飛行機に乗るという免許もある。それは訓練を受けなくても取れるので、普通のおじさんが免許を持っていたりする。つまり飛行機に乗ることはそんなに特別なことではなく、しかも中古の小型飛行機であれば200万円くらいで買えてしまい、あとは月数万円のメンテナンス費さえあればいい。古いものでも大事に扱えば長く乗っていられるので、アメリカ人はプリミティブな機械をとても大事に扱っている」と。

多くの普通の人が飛行機に乗っているんですね。

「ところが、そんな航空大国アメリカでもまだまだうまくいっていないところがある」とホンダの技術者は言うんです。
「私たちは車を運転するとき、いちいちボンネットを開けてエンジンの具合を確かめたりしない。キーを回せばエンジンがかかるものだと信用している。でも飛行機の場合は、飛行場に行ったら必ず自分でエンジンの状態をチェックしなければならない。そういう決まりになっている。そのことが、飛行機乗りの人口がアメリカでさえ増えない要因になっている。現在でさえ飛行機に乗るにはエンジニアとしてのスキルが求められる。だからもっと信頼性の高い飛行機のエンジンを安く供給することで、普通の人が普通に飛行機を楽しめるようになるはずだ。そういうことができるようにすることがエンジニアの務めではないか」と。
飛行機は構えて乗る必要はないんです。車もマニアな人たちだけが乗っているわけではないでしょ。日本では飛行機に関する雑誌は少なく、とてもマニアックな内容だけど、アメリカでは車の雑誌同様に発刊数も多く、また内容も幅広い。
つまり飛行機に興味を持っている普通の人たちが多いということですね。
この飛行機の話は、実はロボットにも通用するのではないかと思っています。つまりロボットは本来そんなに真剣に付き合わなくてもいいはずで、マニアばかりがロボットを愛でなくてもいい時代が必ずやってくると思っています。

プライベートパイロットの免許を取ったことで、何かものごとの見方が変わったことはありますか?

それは「安全」に関する考え方ですね。自分の安全だけでなく、周りの人もいかに安全でいられるかをいつも考えること。それがパイロット試験にパスするためのひとつの指標にもなっています。安全というものを背負っているということを指導教官から徹底的に教わりました。飛行機は自分だけが乗るものではないという思想ですね。
「他の人にとっても安全」という考えは、車の免許取得のときに教えてもらった記憶がないので、強く印象に残りました。

飛行機乗りとしてのご予定はありますか?

ぼくが持っている免許は「有視界飛行」だけに限られていて、雨の日は飛べないんです。雲の中にも入ってはいけない。ホンダの人もいっていましたが、「晴航雨読」の免許なんです。
いま日本人でも退職後の楽しみとして、アメリカに行って航空免許を取得する人が増えてきているそうです。日本で飛行機に乗るためには、追加の試験にパスして免許を書き換える必要があるのですが、日本でわざわざ免許を書き換えなくても、ロサンゼルスあたりに行って、飛行機をレンタルして、温泉地に飛んでゆっくりしたほうがいいと思っている。アメリカには温泉地の隣に飛行場があるなんていうところもあるそうです。そのほうが趣味として堪能できる気がします。

これからの予定

6月  「瀬名秀明・大空の夢と大地の旅」 小説宝石7月号からエッセイ連載開始 
8月  『決定新版ミトコンドリアと生きる(仮題)』新潮文庫
8月〜9月  「ワールドSFコンベンション」パシフィコ横浜
第一線で活躍するロボット・人工知能研究者を集めて、日本や世界のSF作家と討論する特別シンポジウムのコーディネートをします。一般の人も参加可能となる予定です。
近刊  『大空のドロテ』双葉社

先日、「日本のロボット学の父」と呼ばれた早稲田大学の故・加藤一郎先生の伝記絵本『ぼくたちのロボット』を出版して、ロボットの仕事はひと区切りついた感じがあります。
プライベート・パイロット免許の取得を通して空港管制官やパイロットの方たちとも知り合えたので、今後は航空システムを巡る小説も書けたらいいなと考えています。

また新たな領域が広がりそうですね。今後のご活躍を楽しみにしています。本日はお疲れのところ、ありがとうございました。


瀬名 秀明氏
1968年、静岡県生まれ。東北大学大学院薬学研究科(博士課程)在学中の95年に『パラサイト・イヴ』で第2回日本ホラー小説大賞を受賞し、作家デビュー。『BRAIN VALLEY』で第19回日本SF大賞を受賞。ロボットに関する著作に『ロボット21世紀』、『ハル』『ロボット・オペラ』『岩波講座ロボット学1 ロボット学創成』(共著)など。現在、東北大学機械系特任教授。2006年にFAAプライベート・パイロット資格を取得。

2007年6月19日(火曜日)

第一回 的川泰宣氏 (宇宙航空研究開発機構 宇宙教育センター長)

そのダイナミックな発言と行動を通じて、人々のハートに火を灯す「人」にフォーカスするインタビューシリーズ。
その第一回目にご登場いただくのは、「日本の宇宙広報の父」的川泰宣氏。
的川さんは研究者として日本のロケットの開発に携わった後、広報・対外協力の責任者として日本の宇宙開発のすばらしさを広く国民や世界に発信され続けてきました。
2005年からは宇宙教育センター長として宇宙教育の普及にも力を注ぎ、新たな展開も視野に入れながら宇宙教育活動を続けています。
6月に開かれた「宇宙教育シンポジウム」講演の後、的川さんにお話を伺うことができました。
(有明ワシントンホテルに於いて  聞き手 ?ロボットメディア 小林賢一)

的川泰宣国際協力で一生懸命やれば、人と人が仲良くなって、ややこしい問題が起こったときでも結局解決するのは法律ではなくて、人と人とのつながりなんだ

的川さんは研究者として宇宙の世界に入り、ロケット開発の現場でご活躍されていたわけですが、広報を担当するようになったきっかけは何だったのですか?

ロケットの現場で働いていた若い頃は、自分が広報の仕事をするなどとは夢にも思っていませんでした。ところが駒場に宇宙研があった頃、わりと物知りだったということもあって、一般の人から電話で問い合わせがあると、交換手はそれが誰に答えてもらえばいいのかわからない質問については全部僕のところに投げていたのです。そうこうするうちに宇宙への人々の関心がだんだん高まり、またハレー彗星の国際協力が始まれば広報も国際協力も大事ということで、対外的に宇宙研の渉外をつかさどる専門家が必要となりました。つまり、それまでのボランティア的な位置づけでなく、業務としてやるようになったわけです。上司からは、国際協力や対外協力については慣れているお前がやれ、時間が空いたときにやればいいからと言われ、それならということで引き受けたのですが、対外的なことというのは暇なときにやればいいということはなく、ほとんど待ったなしのものが多い。また国際協力の多くはそんなに簡単にはいかないものなので、時間をずいぶん取られるようになりました。当初の4対6が5対5になり、やがて6対4、8対2にとなって、そうなるとこれは陰謀だったな(笑)と後で気づいたわけです。

長年、広報をされてきた中で特に印象深い出来事は?

1. ハレー彗星の探査協力  国際協力は人と人との関係づくり

1981年にヨーロッパ、アメリカ、ロシア、日本の4極でハレー彗星探査協力のための連絡協議会(IACG)が発足して、4極で順繰りで毎年会議を行うことが決まりました。
会議にはそれぞれの機関のトップが集まるので、重要事項がその場でどんどん決まっていく。その会議を通して各国のスタッフ同士はものすごく仲が良くなりました。そこで実感したのは、国際協力というのはやはり人と人との関係なんだということです。それはハレー彗星探査が終わった1986年以降も、様々な分野で国際協力を行う際に、自分自身にも宇宙研にとっても大切な財産として役立ちました。国際協力で一生懸命やれば、人と人が仲良くなって、ややこしい問題が起こったときでも結局解決するのは法律ではなくて、人と人とのつながりなんだということが確認できたすばらしい経験でした。

2. 漁業交渉  はやぶさの陰に糖尿あり

旧NASDAが種子島でロケットを打ち上げたときに、一段目のロケットが落下する海域の漁師さんたちと話し合いがうまくいかなくて、そのため海上デモにまで発展したことがありました。
漁師さんたちは東大の先生たちがやりたい研究ならやらせてやればいいという気持ちはあったのですが、旧NASDAの場合は国がやる仕事で、趣味でやっているわけではなく、いずれメーカーが入ってくるのであれば儲けにもつながる、それなのに俺たちの漁業の生活権はどうなるのだという風になっていって、理屈の上で東大だけ優遇するわけにはいかないということで、結局巻き込まれてしまった。
でも漁師さんたちも科学の研究に対して理解はあるのでわれわれにはずいぶん柔らかな態度でしたよ。僕は宮崎、鹿児島、大分、愛媛、高知各県の漁業連合会に行き始めて20年になるけど、本当に皆さんと仲良くなった。漁師さんたちはいくらでも酒は飲むし、カラオケもずいぶんやるし、付き合うには結構大変な人たち(笑)なんだけど、僕自身はそういうのがあまり苦にならないので、漁師さんたちも楽しんで付き合ってくれました。年によってはずいぶん無理を聞いてもらったこともあるけど、それはやっぱり人間関係だと思います。交渉ということで真正面からいっても決して気持ちよくはやってくれない。いくら保証金を積んでも「あいつのためなら」という感じにはならない。公私混同ととられるかもしれないけど、本当に仲良くなったことが結局財産になった。「はやぶさ」のときには5月の打ち上げということで、漁師さんたちとの協定の期間外だったのだけど、なんとか打ち上げに協力してもらいたいと2週間近くずぅっと酒を飲み続けて、結局身体を壊してしまった。
「はやぶさの陰に糖尿あり」(笑)。

研究者が広報活動を行うことと、事務官として就職してたまたま広報に配置されたということでやっている人の心持ちとでは、かなり気分が違う

3. 「のぞみ」27万人のメッセージキャンペーン  宇宙を巡る国民との確かな交流

1998年に打ち上げた火星探査機「のぞみ」の打ち上げ前に、探査機に乗せて運ぶということで、人々の名前をはがきで募集しました。ところが名前だけだとはがきにだいぶ余白ができるので、多くの人が余白の部分にいろいろなことを書いてくれた。27万枚、僕は残らず目を通しましたよ。本当にすばらしいメッセージばっかりでとても感動しました。
そのとき感じたのは、宇宙のことをやっていてそれを知ってほしいという気持ちと国民の宇宙に賭ける期待とが交流しあい、互いに心が通いあったという確かな思いです。それが「のぞみ」のときほど鮮やかに現れたことはなかったと思うんですね。はがきひとつひとつ本当に情が細やかだった。
1990年代の終わり頃は僕もだいぶくたびれかけていて(笑)、「のぞみ」のキャンペーンを通して自分自身もふたたび生き返った感じがしました。おもいっきり心の充電をさせてもらったと思っています。
実は1985年に打ち上げた「さきがけ」の際も同じようなキャンペーンを提案していたのですが、先日惜しいことに亡くなった野村民也先生に「的川君それはだめだよ。打ち上げに失敗したらみんなの名前が海に落ちるわけだから、そんな無責任なことはできないよ」といわれて、そのときはまだ自分も若かったので、年取った人はいろいろな心配をしなければならないんだな(笑)と妙な感心をして、キャンペーン企画を取り下げてしまったのだけど、後から考えたらこれは握りつぶされただけだ(笑)と思った。
「のぞみ」のときに、メッセージキャンペーンのことを新聞で知った野村先生から電話があり、「記事を読んでとても感動した。いいことをやったね」と言われたので、これは一言言っとかないといけないと思い、「野村先生、さきがけのときににぎりつぶしたのを覚えていますか」と言ったら、うーんとため息をついて、「まぁ、時代だな」(笑)。
世の中、便利な言葉があるなぁと感心しましたよ(笑)。

そんな宇宙に賭ける国民の声と直に接してきた的川さんの経験は、今のJAXAにも活かされているのでしょうか?

研究者が広報活動を行うことと、事務官として就職してたまたま広報に配置されたということでやっている人の心持ちとでは、かなり気分が違うと思います。自分のような研究者が広報や対外協力の世界にはまっていったことは、他の研究者からも親近感があると思うけど、事務官の人は、もちろん一生懸命にやっていてありがたい限りだけれど、2年もするとたとえば経理に行くかもしれないという気持ちがどこかにあるでしょうね。ただし、だからこそ担当している間だけでも全力でやる人も出てきますが ……。
研究者がやる場合は内発性が非常に高いので、自分自身にとっての満足度だけじゃなくて、周りの研究者が応援してくれる度合いも大きいと思います。特に年長になったこともあるけど、今では僕が頼んだら断りきれないという不文律があって、僕がまとわりついたら嫌な予感がする(笑)と思われていようです。
研究者じゃないとやはりできない広報活動があるので、事務官の人には、宇宙研の研究者はちゃんと協力してくれるから、わからないことは絶対に自分で答えないように言っています。逆に研究者たちは、広報から振られた一般の人からの質問には、概して丁寧に答えていますよ。少なくとも宇宙研本部はそういう意味で今でも雰囲気はよいと思います。

JAXAの中に宇宙研と旧NASDAというまったく異なる文化が同居していることは一般の方はほとんど知らないので、宇宙研のすばらしい文化がちゃんと国民に伝わらないのはとても残念だなぁと思います。広報を長年やってきた立場からそのあたりはどのように思っていますか?

文化が違うと言ってしまえばそれまでなのですが、宇宙研の文化が消えないようにしたいとは思います。

サッカーは小僧になるとうまくなっていくけど、宇宙小僧の場合は視野が狭くなっていく

3. コズミック・カレッジ  広報の活動の限界と子供たちの将来のために

宇宙が好きな子供たちが集まって、5泊6日の合宿を行うコズミック・カレッジの実施は、自分にとっても新しい世界が開かれる思いがしましたね。講演だとどうしてもその場限りだけど、子供と一緒に寝起きして、子供たちの将来の話などを聞いていると、自分自身がこの子たちの人生設計にかなり責任があると感じるんです。
90年代のはじめ、広報の活動の限界をちょうど感じていた頃だったんですね。広報は宇宙の活動の宣伝をするわけで、私たちはこんな立派な活動しているので皆さんもっともっと知ってください、そうすれば予算も増やせるし(笑)、なんて打算もあってやっていた節もある。本当は子供一人ひとりの人生を耀かせるために宇宙をもっと活用しなければならないのにと思いはじめていたときでもあったので、広報とか普及という概念を超えて、教育に進まざる得ない必然性があったのだと思います。
そのきっかけを与えてくれたのがコズミック・カレッジでした。
5泊6日というのは相当濃厚な時間であり、親と離れるのがはじめてで泣き叫ぶ子もいて、最初の年は、しっかりしたカリキュラムにしようと皆と喧々諤々、授業にも熱が入りました。
それでも2年3年と続けると運営もスムーズにできるようになりました。しかし、マンネリは必ず起こるもので、コズミック・カレッジも見事な授業ではあるのだけど、先生も慣れてしまって熱がない。だんだん流れ作業のようになってしまった。そういうことって子供は敏感に感じます。当時、子供を巡る様々な凶悪事件が起こり、日本の教育はどうなってしまうんだろうという思いと、数十人規模でやっているコズミック・カレッジは結局自己満足なだけではないか、これではいけないと反省が始まって、本当に日本がいい国になるために宇宙が貢献できることは何か探していきたいという気持ちが強くなっていきました。

4. 宇宙教育センターの発足  真の宇宙教育実現への長い道のり

宇宙教育について的川さんはどのようなお考えをお持ちなのですか?

宇宙のことを一生懸命教えるのが宇宙教育ではありません。宇宙のもつ魅力的な素材を軸にしながら、一人一人の子どもが人生をしっかりと生きていく基礎を築いていく手伝いをするということです。教育というのは「育む」という字が入っているように、子供の中にある立派な燃料を燃やすということもあるし、人間関係を育むということもあると思います。
コズミック・カレッジに参加してくれている教師は、熱意のある本当の「教育者」たちです。自分自身も教えられるところが多く、これだけ熱意のある先生がいるんだから日本もちゃんと組織すればきっとうまくいくんじゃないかという感じは持っています。
日本には宇宙少年団という組織がありますが、その運営は各支部がそれぞれ勝手に好きなようにやっている。
ボーイスカウト連盟のボーイスカウトのリーダーではありませんが、クラスに宇宙教育を受けた子が居るだけで教室の空気が引き締まり、さすがだという風になればいいと思います。

サッカーのことが寝ても覚めても好きなサッカー小僧がいるように、宇宙のことが大好きな宇宙小僧(笑)がクラスに一人や二人居るようになるといいですね。

サッカーは小僧になるとうまくなっていくけど、宇宙小僧の場合は視野が狭くなっていく場合もある(笑)。スペースシャトルの長さや重さは良く知っているのだけど、スペースシャトルの飛び方はわからないとか、細かいことばかり詳しくなっていくと宇宙の現場では使いものにならないことが多いです。我々が求めているのは原理をしっかり理解している人たちなのであって、宇宙小僧の資格というのは決してマニアではないわけです。そのあたりは気をつけないといけないところですね。

音楽の場合は「音楽オンチ」というだけで滑稽だからマンガになりやすいけど、「宇宙オンチ」なんてザラにいるからおもしろくもなんともないって

今日は「のだめカンタービレ」のバッグを持っていますが、なにか所以があるのですか?

僕の友達に大澤徹訓さんという作曲家がいます。『マンガ作家の二ノ宮さんは五線譜が読めない人だけど、自分と話すうちにアイディアが浮かんできて、自分がヒントを出すことによって音楽家じゃないと喋らないようなセリフで「のだめカンタービレ」を描いたんだ』、と言うんだな。だから大澤さんには「宇宙ののだめ」ができないかという話をしていて、二宮さんも今取り掛かっている作品が一段落したら、相談に乗ってもいいと言ってくれているようなので、なんとかできればいいと思っているのだけど、大沢さんに言わせると『音楽の場合は「音楽オンチ」というだけで滑稽だからマンガになりやすいけど、「宇宙オンチ」なんてザラにいるからおもしろくもなんともない、キャラクターとしてすごく難しいんだ』って。
宇宙を主人公としたマンガが当たるかどうかはわからないけど、「キャプテン翼」や「アタックナンバーワン」によって、サッカーやバレーボールが子供たちの人気スポーツになったように、「宇宙ののだめ」が作られることで宇宙が人気の分野になるきっかけになればいいなと思っています。

これからのご予定は?

7月初め  ハインラインプライズ審査会 
「ハインラインプライズ財団」というのが全世界のエンジニアやサイエンティストを対象に毎年エッセイコンテストを行っていて、僕はその財団の評議員か理事をやっている関係もあって、北京で行われる審査会に出席する予定です。3日間かけて審査を行うのだけど、世界中から友達も来るので、なぜ北京で開催なのかわからないけど(笑)、楽しみにしているんだ。

7月21日  宇宙研(相模原)の一般公開  
僕が立ち会えるのも今年で最後だと思うので実行委員長を引き受けることにしました。もちろん広報は後任の坂本成一君に全面的にまかせてあるので、口出しはしないつもりだけど、僕も彼くらいの年齢のときにごまかされて広報をするようになったので不安な面もあると思うから、本当にわからないときにだけ自分に聞く位で、後はおもいっきりやれと伝えてあります。きっとうまくやってくれるでしょう。

8月16日  月周回衛星「かぐや」打ち上げ。
9月~10月  IAC国際宇宙会議
インドのハイデラバードで開催。主催団体であるIAF(国際宇宙航行連盟)の副会長なので、どうしても出席しなければなりません。一週間くらい滞在する予定です。
11月 アジア太平洋地域宇宙機関会議 
インドのバンガロールで開催。

年内の予定はたくさんありますね。

そうなんだけど、やはり今後は日本の宇宙教育に力を注いでいきたいと思っています。
さっきの講演(宇宙教育シンポジウム)でもちょっと話たけど、英語には「命」を一言で言い表す言葉がないんだ。英語では「スピリット」と「ライフ」を一緒にすると「命」という意味になる。だけどインドやタイなどのアジアの国の言葉には、日本語と同じように「命」という言葉があるんだ。キリスト教というのはたいしたことないよな(笑)。

宇宙辞書の編纂

宇宙のことを自国語で語ることは非常によいことだと思っていて、例えば、日本人がホイットマンの詩を読んでもどうもぴんとこないのだけど、芭蕉の俳句ならよくわかる。きっとそれぞれの民族でそういう言葉があるのだと思います。
宇宙の言葉をそれぞれの民族の言葉で語るためにも「多言語宇宙辞書」というものがあればいいなと思って、最初はどうしても技術用語が中心になるけど、宇宙に関係した言葉を2000語くらい集めて、世界16ヶ国語にした辞書を作っています。今は日本と中国以外は皆ヨーロッパの国の言葉なので、他のアジアの国々にも一緒にやらないかとメールで呼びかけたら、すぐに5つくらいの国から協力の申し出があって、来年くらいまでにはそうした国の言葉も入れた「宇宙辞書」を作りたいと思っています。

それぞれの民族の宇宙についての詩を各国の詩人に訳してもらって、「千の風にのって」のような曲ができあがればいいですね。
本日は、ありがとうございました。


的川 泰宣氏
工学博士。1942年広島県生まれ。東京大学工学部宇宙工学コース卒業。東京大学宇宙航空研究所を経て、文部科学省宇宙科学研究所、鹿児島宇宙空間観測所所長、対外協力室教授。現在、宇宙航空研究開発機構(JAXA)技術参与/宇宙教育センター長。日本宇宙少年団相談役。

16 queries. 0.020 sec.
Powered by WordPress Module based on WordPress ME & WordPress

robocasa
NPO法人ロボティック普及促進センター

[ 書籍のご紹介 ]

『近距離移動用パーソナルモビリティの市場と将来性2011』

『高齢者・障害者の次世代自立支援機器と介護者・障害者のニーズ分析2010 』

『宇宙関連ビジネスの波及効果と有望分野 (PDF版) 』

『近距離移動用パーソナルモビリティの将来性 (PDF版)』

『2009年版 住宅・住設メーカーのRTの取組みとサービスロボット分野別市場規模』

『2008年版 企業向けサービスロボットの導入ユーザーの評価と今後の市場』

『2007年高齢者・障害者の次世代自立支援機器の市場性と介護施設のニーズ分析』

『2006, Update on the Partner Robot Market and Analysis of Key Technologies and Parts [Color Edition]』



新着イベントレポート
新着インタビュー
インタビュー一覧